遊びの家の保育は、長崎県諫早市の端っこ多良見町西川内の自然を舞台に、保護者と職員の力合わせを糧に、四季の彩りを受けて進んでいきます。余分なものを持ち込まず、子どもらしくあることができる生活や遊びをおくれる場となっているか、四季折々変化する自然に毎日繰り返し遊び、小さな変化も見つけ喜ぶことのできる子どもたちがいるか、仲間とぶつかりあって泣いたり笑ったり怒ったり満足したり心を動かしているか、腹いっぱい食べて眠っているか、卒園式には自分が大好きになっている子どもの姿があるか、それらを問いながら九州の仲間たちとの交流保育に学び、力としながら無認可共同保育園22年目の歩みに入りました。年長は7人でした。
遊びの家は"障がいのある子どももない子どもも共に育ちあいたい"という思いから出発しました。初年度から「もう被爆者はつくらない!」と8月8日に学童の子どもたちと『少年少女平和の集い』も行なってきました。(9日は原爆の落とされた日で登校日)それ故、2011年3月11日は、九州の地で揺れも感じませんでしたが、テレビの画面から伝えられる現地の状況はとても信じがたく、原発の事故を含め、この世で起きていることとは思えませんでした。救援物資を送ることはもちろん「子どもたちを守る」の観点と、リンゴの物品販売を始めるにあたり「本当に安全か」という疑問から、独自にリンゴの放射能検査を依頼、自分たちでも食の安全性の確認を行いました。野菜を搬入していただいている会の提案した食品の放射能検査機器購入に園としても出資し、食の安全確認に配慮しています。"自然の中で育てたい" "より自然で安心なものを食したい"という、遊びの家の大事にしている保育の根幹が問われた今回の事態に、私たちの思いつく範囲で必死に行動してきました。これまでもアレルギーやアトピーの子どもたちの現状から、環境問題や食品添加物の害などについても学びあってきた親集団だからこそ、動かずにはいられなかったと思います。
この絵は『ドリトル先生アフリカ行き』のお話の、カナリア島で海賊船に乗り込んで逃げようとしているドリトル先生たちを、海賊たちが追いかけ始めたところです。