2013年 表紙
2012年4月現在、福島から62,038人(うち子ども17,895人)が避難しています。私たちの生活の根幹である地域や職場を全て捨てざるをえなかった人や、家族がバラバラに避難している人も少なくありません。
福島第一原子力発電所事故地より60km以上離れている郡山市や福島市でも、放射線量は0.6 〜 0.7マイクロシーベルトと高く、市内の保育園・幼稚園・学校は室内での生活を余儀なくされ、午前も午後も30分から1時間の外遊びに制限されています。
生命の源である水、土、空気、木々や山々などのあらゆる自然が汚染され奪われています。当然「思いきり外で遊ぶ」などという当たり前の子どもの世界は失われたままです。「社会の宝」と言われ、昔より次代を担う大事な存在としての子どもたちが、こんな環境におかれているのです。私たちは今、地域社会とつながり自然と共存し、脱原発社会を築き上げなければなりません。
また、行政は待機児解消を名目に企業を参入させ、保育を市場化させようとし、社会保障制度を後退させようとしています。私たち大人は、子どもの生きる権利と質の高い保育を受ける権利の保障を求め続けながら、真に子どもを守り育てる社会、未来ある社会をめざしたいと思います。
この保育カレンダーでは2011年3月11日以来、東北や北関東をはじめとする全国各地の保育園が放射能の恐怖とたたかいながら、子どもたちを守り育てるために取り組んできた保育や除染活動も紹介しています。私たちは福島に住む子どもたちが、一日も早く自由に遊びほうけることができる日が来ることを望みます。是非、手に取りご覧ください。
福島第一原子力発電所事故地より60km以上離れている郡山市や福島市でも、放射線量は0.6 〜 0.7マイクロシーベルトと高く、市内の保育園・幼稚園・学校は室内での生活を余儀なくされ、午前も午後も30分から1時間の外遊びに制限されています。
生命の源である水、土、空気、木々や山々などのあらゆる自然が汚染され奪われています。当然「思いきり外で遊ぶ」などという当たり前の子どもの世界は失われたままです。「社会の宝」と言われ、昔より次代を担う大事な存在としての子どもたちが、こんな環境におかれているのです。私たちは今、地域社会とつながり自然と共存し、脱原発社会を築き上げなければなりません。
また、行政は待機児解消を名目に企業を参入させ、保育を市場化させようとし、社会保障制度を後退させようとしています。私たち大人は、子どもの生きる権利と質の高い保育を受ける権利の保障を求め続けながら、真に子どもを守り育てる社会、未来ある社会をめざしたいと思います。
この保育カレンダーでは2011年3月11日以来、東北や北関東をはじめとする全国各地の保育園が放射能の恐怖とたたかいながら、子どもたちを守り育てるために取り組んできた保育や除染活動も紹介しています。私たちは福島に住む子どもたちが、一日も早く自由に遊びほうけることができる日が来ることを望みます。是非、手に取りご覧ください。
▲6歳5ヵ月の男の子(3年5ヵ月保育) なごみ保育園
(福島県郡山市富田町字上赤沼34−105 TEL : 024−961−0753 園長 遠藤 和江)
(福島県郡山市富田町字上赤沼34−105 TEL : 024−961−0753 園長 遠藤 和江)
開園15年目の無認可保育園です。園内でも外遊びが思う存分楽しめる環境を求めて、福島原発事故の2年前に、保護者の協力を得ながら、新園舎を設立しました。
当時の新園舎の園庭には、全身泥んこで砂山掘りや水流しを楽しむ子、水道の蛇口から離れずに水しぶきをあげる子、木登りを楽しみ汗だくで走り廻る子どもたちの元気な姿と、賑やかな声が響いていました。
郡山市は福島第一原子力発電所から60km離れた位置にあります。3・11後、間もなく迎えた新年度4月は、食材やガソリンの入手が容易でない中、頻繁に起こる大きな余震と見えない放射線被曝の不安や恐怖に子どもたちの生活は一変し、外遊びは論外、閉め切った窓越しに園庭を眺めながらの生活が始まりました。尋常ではない状況に5人いた年長児は、6月に避難のために1人が退園して4人となりました。
年長児が室内の生活から解き放たれて、全身に陽ざしを浴びながら自由に遊んだのは3ヵ月後の6月。宮城県登米市の錦保育園で行われた初めての交流合宿でした。その後「少しでも、当たり前の生活が過ごせるように」と福島県喜多方市のさくらっこ保育園へ月3回程度の交流保育に出かけ、さくらっこ夏祭りに合わせての合宿も参加しました。福島県河沼郡柳津で過ごした夏、頑張った磐梯山登山、秋には宮城での交流保育の運動会があり、久しぶりに大地を裸足で駆け回りました。冬は福島県会津でのスキーにも初挑戦して、みんな滑ることが出来るようになり、2月には錦保育園で6回目となる最後の合宿に参加して、持てる力を存分に発揮してきました。
原発事故から一年が過ぎて、郡山市の線量は3月現在でも0.6マイクロシーベルトです。この一年当園では、事故後の5月に表土入替えと雨樋の配管工事、その他に園舎の除染作業を続けてきました。この努力があり、翌年の3月現在の園庭線量は、事故当時の10分の1まで下がり、0.3マイクロシーベルトになりました。
生活環境は大きく改善されましたが、子どもたちは、丸一年全く園庭に出て遊ぶことができませんでした。
過酷な状況でも年長活動を通して、わずかな時間でしたが四季を肌で感じながら過ごせたことは、とても幸せなことでした。たくさんの方に支えていただきながら、交流園の仲間とともに貴重な経験を積んだ年長児は胸を張って卒園しました。
当時の新園舎の園庭には、全身泥んこで砂山掘りや水流しを楽しむ子、水道の蛇口から離れずに水しぶきをあげる子、木登りを楽しみ汗だくで走り廻る子どもたちの元気な姿と、賑やかな声が響いていました。
郡山市は福島第一原子力発電所から60km離れた位置にあります。3・11後、間もなく迎えた新年度4月は、食材やガソリンの入手が容易でない中、頻繁に起こる大きな余震と見えない放射線被曝の不安や恐怖に子どもたちの生活は一変し、外遊びは論外、閉め切った窓越しに園庭を眺めながらの生活が始まりました。尋常ではない状況に5人いた年長児は、6月に避難のために1人が退園して4人となりました。
年長児が室内の生活から解き放たれて、全身に陽ざしを浴びながら自由に遊んだのは3ヵ月後の6月。宮城県登米市の錦保育園で行われた初めての交流合宿でした。その後「少しでも、当たり前の生活が過ごせるように」と福島県喜多方市のさくらっこ保育園へ月3回程度の交流保育に出かけ、さくらっこ夏祭りに合わせての合宿も参加しました。福島県河沼郡柳津で過ごした夏、頑張った磐梯山登山、秋には宮城での交流保育の運動会があり、久しぶりに大地を裸足で駆け回りました。冬は福島県会津でのスキーにも初挑戦して、みんな滑ることが出来るようになり、2月には錦保育園で6回目となる最後の合宿に参加して、持てる力を存分に発揮してきました。
原発事故から一年が過ぎて、郡山市の線量は3月現在でも0.6マイクロシーベルトです。この一年当園では、事故後の5月に表土入替えと雨樋の配管工事、その他に園舎の除染作業を続けてきました。この努力があり、翌年の3月現在の園庭線量は、事故当時の10分の1まで下がり、0.3マイクロシーベルトになりました。
生活環境は大きく改善されましたが、子どもたちは、丸一年全く園庭に出て遊ぶことができませんでした。
過酷な状況でも年長活動を通して、わずかな時間でしたが四季を肌で感じながら過ごせたことは、とても幸せなことでした。たくさんの方に支えていただきながら、交流園の仲間とともに貴重な経験を積んだ年長児は胸を張って卒園しました。
発行:保育カレンダー編集委員会
福井県福井市西二ツ屋町9-8(鷹巣ひかり保育園内)
TEL 0776-86-1066 FAX 0776-86-1067