2014年 表紙
2011年3月11日の東日本大震災がもたらした福島原発の放射能漏れ事故は、私たちのものの見方考え方を一変させました。
16万人を超える人々が今もって避難生活を余儀なくされています。やむなくあきらめて避難の地で生活を再建している人々、家族が離れ離れになり避難場所にいる人々、心や体に病が生じ苦しんでいる人々、希望を断たれ自ら死に至らしめられた人々。原発の過酷な事故によって人々は、突然家族をふる里を奪われてしまいました。帰還するためにもっとも基本となる事故の収束と放射能の除染は、様々な問題を含み遅々として進んでいません。一方では風化の極みか、唯一の被爆国である私たちの気持ちをないがしろにして、国はトップセールスとして原発を輸出しようとしています。
福島県相双地区楢葉町の町立の園長先生より、全国のみなさまに現状を知ってもらいたいと手紙をいただきました。「町の復興計画では、平成27年の4月から、こども園や小中学校を町内で再開する予定になっていますが、生活するための商業施設や医療施設の再開、雇用の確保、インフラ復旧等課題は山積しており、更に第1原発の増え続ける汚染水の問題や、汚染廃棄物の中間貯蔵施設の建設候補地の町になっていることから、小さい子どもを抱えた保護者の帰町意欲に微妙な影響を与えており、2年数ヵ月が経過しても、生活再建が見通せない現状にあります」
全国各地で多くの人々が集まり、原発稼働反対の運動が継続して行われていることに温かさと希望を感じさせられます。私たちは自分の置かれている立場で、これからもこの問題を風化させない努力をしていきたいと強く思います。
全ての子どもが、自然の中で当たり前に安心して仲間と共に遊び呆けることを願って、保育カレンダーを発行し続けていきたいと思います。
16万人を超える人々が今もって避難生活を余儀なくされています。やむなくあきらめて避難の地で生活を再建している人々、家族が離れ離れになり避難場所にいる人々、心や体に病が生じ苦しんでいる人々、希望を断たれ自ら死に至らしめられた人々。原発の過酷な事故によって人々は、突然家族をふる里を奪われてしまいました。帰還するためにもっとも基本となる事故の収束と放射能の除染は、様々な問題を含み遅々として進んでいません。一方では風化の極みか、唯一の被爆国である私たちの気持ちをないがしろにして、国はトップセールスとして原発を輸出しようとしています。
福島県相双地区楢葉町の町立の園長先生より、全国のみなさまに現状を知ってもらいたいと手紙をいただきました。「町の復興計画では、平成27年の4月から、こども園や小中学校を町内で再開する予定になっていますが、生活するための商業施設や医療施設の再開、雇用の確保、インフラ復旧等課題は山積しており、更に第1原発の増え続ける汚染水の問題や、汚染廃棄物の中間貯蔵施設の建設候補地の町になっていることから、小さい子どもを抱えた保護者の帰町意欲に微妙な影響を与えており、2年数ヵ月が経過しても、生活再建が見通せない現状にあります」
全国各地で多くの人々が集まり、原発稼働反対の運動が継続して行われていることに温かさと希望を感じさせられます。私たちは自分の置かれている立場で、これからもこの問題を風化させない努力をしていきたいと強く思います。
全ての子どもが、自然の中で当たり前に安心して仲間と共に遊び呆けることを願って、保育カレンダーを発行し続けていきたいと思います。
▲6歳11ヵ月の男の子(6年保育) くりのみ保育園
(兵庫県宍粟市山崎町段43 0790-62-7540 園長 川本 鈴子)
(兵庫県宍粟市山崎町段43 0790-62-7540 園長 川本 鈴子)
くりのみ保育園は、山や川に囲まれた自然豊かなところに位置し、無認可6年、認可19年目です。今年の年長は13人でした。
この子は生後3ヵ月で先天性サイトメガロウイルス症候群、先天性緑内障と診断され、11ヵ月で入園してきました。顔が青白く無表情で、黒目が濁り眼振があり見えていない状態でした。1歳でハイハイができるようになりましたが、じっとしていることが多く、保育士は目と目を合わせ声をかけ、金魚運動(背骨の揺さぶり)を大切にしてきました。少しずつ声を出して笑うようになり、大人や友だちの声のする方へ興味を持ち、自分から動くようになっていきました。
2歳で歩行し、自分が行きたい所に行けるようになり、園庭では、水・砂・泥・土でたっぷり遊びました。3歳過ぎてからは、保育士と一緒に少しずつ散歩に行けるようになりました。園舎から300m離れた園庭にある高い築山で、自分から何度も登って遊びました。下ることは難しく、初めは腹ばいになりズルズルと滑り降りていましたが、少しずつ立って降りる姿に変っていきました。この築山での遊びから自信をつけ、広い空間でも自分から友だちのいる方へ行くようになりました。リズム遊びでは1本の柱の周りをぐるぐる回りながら走っていましたが、少しずつ行動範囲が広がり、友だちの後ろから走れるようになっていきました。4歳の時、主治医から「この子は見えて動いているのでなく、感覚で動いていますよ」と言われ、改めてこの子の感覚を育てた遊びの大切さに気づきました。
年長になり雑巾縫いで保育士は、針に糸を通すことは無理ではないかと思い「通してあげようか?」と尋ねると「自分でする」と言い、何度も挑戦し糸が通った時は大喜びでした。それからの課題も諦めず最後までやり抜き、力をつけていきました。
3月のくるみ保育園での年長交流合宿では、一人縄跳びの時、カーブで何度も転んで場所勘をつかみ最後は満面の笑顔で転ばずに回りました。1日1日リズムで感覚をつかみ挑戦していく姿に周りの子どもも大人も励まされ「みんな、なんで僕の名前を知っとんやー」と、不思議がるほど周りから、声をかけてもらいました。
この絵は『森は生きている』の映画を観たあとに描きました。水彩画も、絵の線を追いながら丁寧に塗っていきました。就学前の視力検査で、メガネをかけて0.06(両眼)であり主治医は「この子はほとんど見えていない状態ですが、よくここまで育ちましたね」と感心されました。
子どもはみんな「育つ力」を持っていて、小さい時からの毎日のリズムと仲間の中で支え合う体験が大切であることを、この子から学びました。
この子は生後3ヵ月で先天性サイトメガロウイルス症候群、先天性緑内障と診断され、11ヵ月で入園してきました。顔が青白く無表情で、黒目が濁り眼振があり見えていない状態でした。1歳でハイハイができるようになりましたが、じっとしていることが多く、保育士は目と目を合わせ声をかけ、金魚運動(背骨の揺さぶり)を大切にしてきました。少しずつ声を出して笑うようになり、大人や友だちの声のする方へ興味を持ち、自分から動くようになっていきました。
2歳で歩行し、自分が行きたい所に行けるようになり、園庭では、水・砂・泥・土でたっぷり遊びました。3歳過ぎてからは、保育士と一緒に少しずつ散歩に行けるようになりました。園舎から300m離れた園庭にある高い築山で、自分から何度も登って遊びました。下ることは難しく、初めは腹ばいになりズルズルと滑り降りていましたが、少しずつ立って降りる姿に変っていきました。この築山での遊びから自信をつけ、広い空間でも自分から友だちのいる方へ行くようになりました。リズム遊びでは1本の柱の周りをぐるぐる回りながら走っていましたが、少しずつ行動範囲が広がり、友だちの後ろから走れるようになっていきました。4歳の時、主治医から「この子は見えて動いているのでなく、感覚で動いていますよ」と言われ、改めてこの子の感覚を育てた遊びの大切さに気づきました。
年長になり雑巾縫いで保育士は、針に糸を通すことは無理ではないかと思い「通してあげようか?」と尋ねると「自分でする」と言い、何度も挑戦し糸が通った時は大喜びでした。それからの課題も諦めず最後までやり抜き、力をつけていきました。
3月のくるみ保育園での年長交流合宿では、一人縄跳びの時、カーブで何度も転んで場所勘をつかみ最後は満面の笑顔で転ばずに回りました。1日1日リズムで感覚をつかみ挑戦していく姿に周りの子どもも大人も励まされ「みんな、なんで僕の名前を知っとんやー」と、不思議がるほど周りから、声をかけてもらいました。
この絵は『森は生きている』の映画を観たあとに描きました。水彩画も、絵の線を追いながら丁寧に塗っていきました。就学前の視力検査で、メガネをかけて0.06(両眼)であり主治医は「この子はほとんど見えていない状態ですが、よくここまで育ちましたね」と感心されました。
子どもはみんな「育つ力」を持っていて、小さい時からの毎日のリズムと仲間の中で支え合う体験が大切であることを、この子から学びました。
発行:保育カレンダー編集委員会
福井県坂井市三国町楽円53-3(三国ひかり保育園内)
TEL 0776-81-6565 FAX 0776-81-6566
ホームページ http://www.hoiku-c.net/
保育カレンダー作成に参加している全国の保育園、
幼稚園を知りたい方はホームページを御覧下さい
定価1200円