無認可7年、認可24年で、今年31年目を迎える保育園です。
2011年3月11日午後2時46分― 大きな地震、津波、原発事故が突然襲ってきました。当時在園していた136人の子どもたちの家族の9割は、幼子を抱え、明日を生きる場所を探し求め全国に避難しました。
放射能汚染の影響のため、0歳児の園庭の芝生は二度にわたって張り替えましたが、線量が下がらず1年近く室内での生活が続きました。原発事故後5年を経過した頃より山の中への散歩を再開しましたが、山菜類、木の実、きのこ類はまだ食べられない状況が続いています。
この子は「布オムツで育てたい」という母の希望で1歳での入所を予定していましたが、東日本大震災で新潟県に一時避難し、3ヵ月後の入所となりました。その頃は、色白で体も食も細い子どもでした。その後も人見知りが強く、新しい環境に慣れるのに時間がかかり、表情も硬い姿がありました。大きな集団ではなかなか自分が出せなかったので、少人数でのあそびを心がけて楽しめるようにしてきました。母はこの子のために素材の味を生かした薄味の食事やテレビなどがない生活を心がけ、絵本の読み聞かせなどとても努力してくれました。
3〜4歳頃になると、ごっこあそびやルールあそびなど集団でのあそびが楽しくなり、年長の後半は、何事にも自ら挑戦していく姿が見られました。卒園期には仲間と共によく遊び、よく描き、リズムあそびに取り組む姿はいつも笑顔でした。
この絵は『わらしべ王子』のお話で、主人公の二人がふるさと(沖縄)に向かっているところを描きました。