保育カレンダーc
保育カレンダーに思いをよせて
元日立市つくしんぼ保育園園長 高橋悦子
カレンダーから伝わる心をくだく保育方法の創造と保育内容
現在、常陸太田市の家付き農地(10年以上耕作放棄)で6人の仲間と農業をしています。メンバーは、就業中、森林ボランティア、地域振興、中国語マスターなどをしているので全員が集まるのは週1回という農業なのですが、作物を育てるのはなかなかおもしろい。一面の雑草畑の草取りをした草、野菜の残渣を積み上げておいたものを次の年に畑にすき込んでナスを植えたら、ナスの根本の枝先までナスの花が咲き、ナスが収穫でき、しかもやわらかく甘くおいしいナスでした。土がやわらかくなり、ミミズが耕し、細い根をひろげ、土のなかの微量要素やミネラル分を吸収し、おいしくなるようです。
「奇跡のリンゴ」という映画(木村秋則さん)ご覧になった方もいると思いますが6年間もりんごがならず、もう死ぬしかないと山に登っていったら1本のドングリの木、何の肥料もあげていないのに木も草もスクスク育っている。それを見て死ぬのはやめ、りんごの木のまわりに大豆の種をまき少しずつりんごの木の周りの環境をかえた。りんごは10年目にしてなる。そのりんごを二つに割ったまま冷蔵庫の上に放置したが2年間たっても腐敗しないので奇跡のりんごとよばれた。
人も自然界の生命循環のしくみの中で豊かに成長するのではないか。しかし東日本大震災という大きな痛手を受け、外で自由にあそびまわることもできない中で全国のみなさんが保育の方法を創造し、子どもたちが元気になる保育の内容に心をくだいていることが、2013年のカレンダーから伝わってきました。
この前、足ふきと雑巾をぬって保育園にあそびに行きました。2・3歳児の子どもたちが集まってきて自分の描いた絵をみせてくれました。丸をたくさん描いて「水がいっぱい」(水たまりか池がいっぱい?)、おんぶしている絵は「ママにオンブしてるの」肩のボタンしっかりとめているので「すごいねじょうずだね」といったら「いつもできるよ」と教えてくれました。毎日毎日の楽しいくりかえしの中で自分の成長を自分でうれしいと思い、自己確立していくのだと思いました。
今年も素敵なカレンダー楽しみにしています。
神戸大学名誉教授 広木 克行
絵を通して学ぶ幼児の発達
最近、「幼小一貫教育」という言葉を聞くことが多くなりました。それは子どもたちのための「幼小連携」とは異なり、いわゆる「学力問題」解決の方法として、いくつかの自治体が導入し始めたものです。
小学校での勉強を効率よく進めるために幼児の保育と教育を活用し、文字や数学の教育を前倒しして教えようという発想です。結論から言えば、それは保育の素人による保育の破壊であり、子どもの発達する権利への侵害に他なりません。
今から数十年前のアメリカでも、学力低下が問題になり幼児教育に早期文字教育を導入した経験があります。しかし、その結果は悲惨なものでした。幼小の子どもの間に様々な精神疾患が現われるようになったのです。幼児期の特質を知らぬ大人たちが、子どもの学力を上げようとして、自分の記憶に残る小中学校的な教育の発想を保育に適用したことで起きた過ちです。
文字を学ぶ前の子どもたちは、文字を持つ前の人類のように、自分の願いや体験をイメージとして感じ、それを絵によって表そうとしています。だから幼児の絵は子どもの心そのものであり、子どもの発達のすべてを表しています。しかし記号である文字を教えるとイメージ自体が萎縮し、絵そのものも記号化していきます。6歳になり小学校に入る頃になれば、ほとんどの子どもは一時的なその萎縮と後退を乗り越えて発達することが可能になるのです。
このカレンダーの絵を見てください。どの絵にも自分が感じたイメージの力強い表現が見られます。そこには自我の育ちとイメージ表現力の確かな育ちを見ることができます。幼児期の子どもたちの発達を守り、保証するためにも、幼児の絵から学ぶべきことは非常に多いのです。
日本赤ちゃん学会理事長 小西 行郎
研究者の目からおじいちゃんの目へ
1週間前に4人目の孫が生まれました。来年には5人目も。こうなってくると赤ちゃんや子どもと接するときに医者や研究者の目から見るのではなく、おじいさんの目からみるようになった自分を感じるようになってきました。
一番上の孫は2歳になり、初めてなぐり書きをしたものがメールで送られてきたとき、なにが見えているのだろう?何が言いたいのだろうという研究者の目で受け取ったのではなく、かわいさとうれしさが混然とした不思議な感覚を感じました。子どもの絵の面白さや不思議さは子どもの世界が単に我々大人の見る世界と違っているからではなく、そこに発達する子どもの力や広がってゆく世界のようなものを感じるからかもしれないと実感するようになりました。
保育カレンダーを見る目もそうしたこともあってたぶん今年は違う視点から、つまりはおじいちゃん目線から楽しむことができるのではないかと思います。
佛教大学社会福祉学部社会福祉学科准教授 丸山美和子
絵画表現を豊かにするために
からだと手の発達を基礎にしながら「感動」を!
私の研究室には、毎年「保育カレンダー」が掛かっています。研究室に出入りする多くの学生に見て欲しいと思っているからです。子どもたちの豊かな表現に目を留めて欲しいのです。
「保育カレンダー」の中の絵は、大人が直接絵の書き方を指導し、「描かせた」ものではありません。子どもたちの感動が表現されたものです。私は、絵画に限らず、子どもの表現が豊かになるためには、「感動」と「共感」が必要だと思っています。何かに感動した子どもは、それを表現します。その表現に周囲の大人や友達が共感してくれると、もっと表現したくなります。
一方、絵画でその感動を表現するためには、子どもがいろいろな線や形を自由に書けるように、器用な手が育っていなければなりません。手の器用さの土台は、からだの育ちです。
すなわち、子どもの絵の表現は、生活と遊びを通して、しっかりとからだと手の機能が育ち、しかも感動があったときに豊かになると、私は考えています。「保育カレンダー」の中の絵は、まさにそういう絵だと思っています。
あゆみの森共同保育園園長 小林幾世
九州の北のはずれの小さな無認可共同保育所の私達は、この保育カレンダーを通して、全国の仲間達から多くの力をもらっています。だからこそ、一本でも多くこのカレンダーを普及することが、きっと全国の子育てに悩む方々の力になると信じて疑いません。
毎日毎日の遊び、生活の中で、子ども達の腕は強く、太ももはかたく、満面の笑顔の澄んだ瞳は、まっすぐ前を向いています。こんな子育ての実践集となる保育カレンダーには、「嘘」もない、「飾ったことば」もない、「生命って素晴しい」というメッセージのみが詰まっています。
日本現代詩人会会員・元教師 久保田穣
上州の地もすっかり冬景色で赤城山も白くなりました。
二〇〇八年保育カレンダーをいただきました。毎年、ありがとうございます。
私宅の玄関に飾っております。
来客の皆さんがほめてくれます。
これからも子どもたちのいのちが大切にされる仕事を続けていってほしいと思います。
お元気で。
‘08・1・1
河添育児学研究所主宰 河添幸江
世界も日本も、そして子ども達のまわりも激動だった今年も今日で終りとなりました。最終の今日、精いっぱい取り組まれた、子ども達への愛いっぱいの結晶のような「保育カレンダー」が届いて参りました。さぞかしの時間だった事でしょう。チャンと使わせて頂きます。有難うございました。来年こそいのち輝かせる年になって欲しい!!
よい年をおすごし下さいませ。多謝。
いわき市立総合磐城共立病院小児科主任部長 渡辺信雄
例にはない暖かい年末正月を迎えております。この度は2008年保育カレンダーを戴き有難うございました。当科の外来で使わせていただきます。加齢や成長と共に退行・退化する子どもの豊かさの記録を残し続けて下さい。御活躍を御祈り申し上げます。
草々
平成20年1月7日
琉球大学理学部物資地球化学科 矢ヶ崎克馬
保育園児の書いた絵のカレンダーと記録誌の子どもたちの絵を見て、子どもたちがこんなに豊かに感じ、豊かに表現できるなんて、ほんとにすごいと思いました。一人ひとりを大切にして見守り、励ます先生方がおられて、これほど大きな暖かい世界を子どもたちが持ってくれるのだと、改めて感激しました。子どもの絵って素敵ですね。その絵に至るまでの物語を読むともっと感激します。このカレンダーが研究室にあるだけで心が温かくなります。
実はこの3月にオジイ(祖父)になりました。男の子でもうすぐ9ヶ月。この子も保育園でどんな素敵な保育士先生達と出会えるかわくわくです。
先ほど原爆症認定集団訴訟の意見書を書き上げました。未だ推敲しなければいけませんが、被爆者の皆さんのためにお役に立てばよいと思います。
良いお年をお迎え下さい。
医師・バッチフラワーカウンセリング 鶴 一子
描く絵には希望がある
大人は子ども達から多くを学ぶ。
子育ては試練であり冒険だ。
子どもは社会を映す。
子ども達の変化は、いち早く社会の闇を教えてくれる。
例えば今、日本には化学物質過敏症という病気の人が60万人いるという。しかしその診断も治療も難しい。いち早く罹患した人達は、自らをカナリヤと呼ぶ。
カナリヤは鉱道を掘り進める際に、その先に有毒なガスがないかどうか、自らの命を以て知らせる。いつの時代も、貴い子どもの魂はカナリヤを勝って出る。
病気や元気のない子ども。犯罪、不妊。この時代の危機的状況を命がけで警告している。
まず、大人の私達が行うことは、子育ての原点に帰ること。子ども達を愛と友情と尊敬を以て教えを乞うこと。
それにしてもこの子らの描く絵には希望がある。闇を照らす光のように勇気をくれる。
大人はじっと直視して、そしてまた歩きはじめようではありませんか。